真実の世界

宇宙の真理探究

【平清盛公との歓談】福原京(神戸市)

 

B024平清盛公との歓談】福原京(神戸市)

2019年歓談

 

 

 

巫女半分くらい国津神チックになっているが、神まではいっていない。そこまでではないが 芸術とか美とか文化の交流とかがあった。明治天皇は神々的な感じですよね。そこまで凄い状態ではない。清盛公とご縁のあった方が生まれていたりして その人達が世界の平和とかの働きをされている 人種とかを超えて働きかけている。

平家の方々は自己犠牲が多かった。本当は雅やかさとか、日本の神歌?とか魂が喜ぶ様なもの、表す表現力とか芸術とか美しいものサポートしている。戦いということに関して 清盛さんは政治的な一部の中において 政治家達の何からの形で働きかけ見守り手として 彼の罪償いの意味も含めて 政治的なところを見ている感じがする 見守り手 そのサポート ご縁のある方が今世、政権の中で平家の子孫が生まれて子孫繁栄の為に見守っている 守護ガイドになっている

 

 

平清盛公>輝く日本の火の元に統一していきなさい。美しい心を持つ 

ヒノモト(日本)の者達は 単一国家でないとならない

 

 

巫女どういう意味ですか?

 

 

平清盛公>神の心を一つにしたという意味である。民族を一つにするということは心を一つにするということである。人種の違いは関係ない。殺伐とした世の中から太陽の巫女として輝くべき光を発信していくこと。対立を乗り越えて多くの人達に美しさそして表現力、自由を安泰を与えていける様に 己が一人ずつに対して 内なる敵に対座し それを克服してもらいたい。それは時にさみしい戦いとなるかもしれぬが

皆一様にそれを乗り越えた者達が戦場ではなく(神の)天の御許へと行き その中で繰り広げられる。素晴らしい絵巻を続けていくことになる。

 

命の永続性もさることながら美しさは永遠に続いていけれる。その美とそして平和を愛する心により私は咎めないでここにいる。悲劇のヒーローでもなく、私は一人の人として自由を許され確保できるのである。それは自由を愛するものとして交流と愛するものとして許された。神の温情でもある。それ故、あなた方が本当の自由を手に入れる、安らかさを手に入れる為には他者を自由にし縛りをとり、美しい日本の単一の光を身にまとい発信していく必要がある。美しさを伝える必要がある。それこそが日本の天命であり戦いを克服する寛容な心と許しを与える。誠実な愛の心により寛容さと忍耐により素晴らしいものへとなっていくであろう。

 

私たちは戦いをもう、とうに終えている歴史でも、ここでもそう お互いの違いを理解し合うことを忘れていたからだ あの時は自分がもっと許していれば この様な悲劇はなかったと自分は思っている。それ故、許し認め、自分を誇示するのではなく 一つに溶け合うことを 一つに融合し合うこと望んでいる。それこそが真の平和である。真の力、パワーを手にすることになるであろう

 

 

阿山源氏についての感想は?頼朝、義経について

 

 

平清盛公>もはやなかろう、彼らも人として武人でもあった。それはそなたも知るであろう、この世を生きているのなら その人生を全うしたということであろう。貸し借りのない世界の中で裁かれ、そしてそれぞれの階層に行かれている。私がとやかく言う事ではない

 

 

阿山福原京についてのご意見は?遷都できませんでしたが・・・

 

 

平清盛公>みばおうばかりの美しき都と言うイメージを持ってはいたが されとて、この世の中もの、所詮しれている。それは諸行無常、そして栄枯盛衰にあるかの様に本来あるべき都とはの 我々の心の中にある。一人ずつの都ぞ、それは内なる心の平安であり神のおわすところである。そこを目指すという意味である。

私は物質に走ってしまっていた。それを目にするものが喜び、美しさをたたえ合うと信じていたからである。しかしこの世の物はこちらの物とは とてもとても比べるものにも及びもよらず 本当の美しさとは永遠の美であり 魂の美しさであり ここのこの荘厳な光の神殿にはかなわないものである。私はそれを模写して作ることが 何かの象徴でもあり役目だと思ったが それは違わぬ、それではなかった それは己が内の一人ずつの ミヤコを思い出せということに他ならぬ 仏の内に 中に鎮座し 神々のあの美しさの中に入った時には それは一瞬にして消えた その敵わぬ美しさの中に永遠なるモノを見出してこそ真の道である。

 

 

 

 

 

※余談

対談していて感じたのは、清盛公の波動が大変暖かくて、優しく温もりのあるエネルギーだった事です。おそらく上位の階層にいかれていると感じました。悪いイメージが強かったのですが・・・全然違う偉大な方ですね。