イーグル時空通信社

宇宙の真実追究者

【源頼朝公vs源義経公との歓談】

 

 

 

 B023源頼朝公&源義経公との歓談】 2019年歓談

 

 

 

 

 

 

源頼朝公>

阿山義経公とは本当に仲が悪かったのですか?

 

 

源頼朝公>彼が反発した。

自分の事の様に話したので、

彼は戦いに長けていると言った。

それは違うぞと彼を除名した。

 

 

巫女>兄弟喧嘩のような感じがあった。

義経の考えと言うのも

小さい時からいろいろ苦労した

っていうのもあるが、

頼朝にしては自分を差し置いて

と言う考えがあった。

ちょっと生意気な弟だったと

言う感覚があり、

他で苦労してこいという

意味あいがあった。

 

 

阿山頼朝公は義経公を

本当は跡継ぎにしようとしてたんですよね?

 

 

巫女>あったと思いますね。

ただ世間知らずだと言ってますね。

義経が真っ直ぐなものを持っていて、

真っ直ぐが故に若気の至り

みたいな感覚を感じた。

 

頼朝の方はもっと策略家に感じる。

仕事がらみの時に義経

真っ直ぐなんだけど

あまり周りのことを考えない。

つまり大人の事情もわからない

感じの坊やに見えた

そこから楯突いてきたみたいですね。

 

 

源頼朝公>彼の意見も鋭かった。

義経の意見は目の上のたんこぶ

若干やりずらくなった。

 

 

巫女>それがあったので

除名にし自分の力で這い上がってこいと

思ったようです。

ただその中で兄弟喧嘩みたいな

感覚で済んでたらよかったんだけど、

力を持ち互いに周りがついてくると

後に引けない状況になってしまった。

それが故に戦いたくなかったが

戦かわざるを得なくなった。

結果、悲しいと思いながらも

追側と追われる側になった。

 

 

源頼朝公>ワシは尽くせと命じたのである。

彼がこのままでは尽くせぬと話をしたので、

それならばと筋を通したつもりだったが

義経の方が深い反発心があった。

義経の中に反骨精神があった。

そしてそれは本家と離れた感覚と

それから追いやられた感覚、

隠されてしまった。

いつかこの兄貴を見返して

やろうと言う気持ちが

彼の中にあった。

 

 

 

巫女>兄貴してみると何か時折

それはそれで可愛いと思ったけども

段々とうっとうしい感じになって 

 

 

 

源頼朝公>彼の人気と彼の

ストイックさに押しつぶされそうになったので、

彼はだめな奴なんだと

世間に言わないと自分の身が

危なくなってきた。

 

人気があったのと

真っ直ぐなものがあったが

ゆえに大人の事情というものがあって

本人には申し訳ないけども・・・

 

 

 

阿山義経公の首は本物だった?

 

 

 

巫女>本物だったみたいですね。

実際は1人で切腹した。

平泉の方 彼はいつも死ぬ覚悟で動いていた。

その分伝説が残った。

真っ直ぐさとストイックさ

邪心の無さが彼のうり、

死を覚悟して栄誉ためには

死んだとしてもおかしくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

源義経公>

阿山次に義経さんは

モンゴルに渡りジンギスカン

なられましたか?

 

 

源義経公>さような事はない

 

 

阿山平泉で弁慶と呼ばれる方と一緒にいましたか?

 

 

源義経公>腕の立つ者がいた。

弁慶と言う名前ではなかったが

3つの名前があった。

 

彼のおかげでここまで来れた。

1人だけでは来れなかった。

忍者とは言わないがスッと

居なくなったり 

 

色々な情報を得ようと動いてくれていた。

腕が立ち忠誠心を持つ家来

 

 

 

阿山その家来は義経の館の前で

立ち塞がって矢を受けて串刺しになったと

いうのは本当ですか?

 

 

 

巫女>本当の様です。

自己犠牲に近いものを持っていた。

義経は嘘をついたり

ごまかしたりするのが嫌だった。

 

 

 

源義経公>それをしているのは兄じゃの方だ。

自分はそうでは無い。

 

 

巫女>真の顔を出さない。

頼朝は表の顔と裏の顔があるのでしょう。

正反対さがお互いがお互いを憎み

ぶつかった。

義経のほうは修行者というか、

山伏みたいな感じのものに守られていたり、

そういうところから前世からご縁があった。

この人が伝説の人になるのもわかる。

義経は露骨な部分はあるが

真っ直ぐものを感じますね。

 

 

 

源義経公>私はただ真実を追求し、

平和な世の中にしたいと思ったまで

嘘をつく人間は淘汰されねばならない。

本当の真実の平和は

真実の心にしかあり得ない。

真実を語る者こそが生きていく

世界を作らねばならない。

真(まこと)の世界を作らねばならない。

偽りのままではならない。

この日本国はそうである。

偽りのままではならない

 

 

 

巫女>正義感が強いんですね。

真っ直ぐで特攻兵の様なストイックさで

素晴らしいなと思うんですが、

真っ直ぐな正義感、

汚れなき者という感じですね

   

 

 

源義経公>僧侶にはなりたくなかった。

ちゃんと真実を語りたいし

伝えたい 屈辱でもあった隠されてきた

頼朝は前に出されてきた。

反発はその辺 頼朝は表に出されて

お母さんの血筋の関係が違う

身分の違いがあって

取り立てがされなかった。

 

 

 

阿山義経公はサナートクマラに

修行をしてもらったんですか? 

 

 

 

巫女>義経は”鞍馬の神”と呼んでいる

白馬みたいなものが出てきます

白い狐や行者とか、

時折現れるカラス天狗みたいな精霊

 

 

源義経公>祈りをしていけば色々な者と

通じていくが

世の平和を願う気持ちは同じだ

 

 

巫女>義経はこの世を平和にしたいと

言う気持ちをずっと持っていた。

精霊たちがついてきた

応援した山とご縁がありそこに行かれた

 

 

 

阿山直接サナートクマラを見ましたか? 

 

 

 

源義経公>神々の姿は光として見たことはあるが

直接修行を受けたかどうかわからないが

私の中に入ってくる直感とすれば

それかもしれない?

 

 

 

巫女>鞍馬の神、天狗などを全てを総称している

 

源義経公>夢の中でこちらに行けと

啓示をもらったりしていた2回、3回

霊的な夢を見た。

あーしなさい 

こうしなさいと霊的な指南、

指導を受けたメッセージを受けた

 

 

 

阿山それによって戦(いくさ)に勝てた?

 

 

巫女>その可能性がありますね。

指南されているみたい。西南へ行けとか

 

 

阿山なのに頼朝と戦ってしまったのですか?

 

 

巫女>宿敵と言うことになってしまった。

頼朝とは前世からの縁。義経の前世、

日本で高い位の僧侶。

しかし僧侶のままでは嫌だった。比叡山 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阿山現代の日本人へのメッセージをお願いします。

 

 

 

 

源義経公からのメッセージ】 

天下和平の為に必死に働く政治家がいない。

自分の身の為に正直にものを言わない。

我らが見ていても歯軋りをしている。

死を覚悟して生きるのであれば

何に対して正義を貫くのか自ずとわかるであろう。

されど死など戦艦大和の時代に

同時に亡くなったと思われる彼ら特攻兵達や、

その忠義から学ぶべきことがあるであろう。 

政治家達は憂いる者ばかりである。

そして若者には ”おのれを生きろ” 

と言いたい。己を生きるとは 

己に正直に生きる、ということだ

偽りなく生きる。

 

真実に行ないたい事を行い

真実に語ることを許可し

たとえ何が起きようとも

真理と共に生きた者は

永遠に生き続ける

それは命亡き後も、

後世にも語り継がれる

ことがあるということを

我は言いたい。

 

それこそ日本の礎であろう

そういう若者も少なくなった。

私はそれを貫いた

貫きたかった。

 

それは正しいと思うことを

行えということである。

私の中にある思いは

それのみで走り続けたが

故にいくさにも勝てた。

 

つまり自分の信念だ。

これを貫けと言いたい

ただしこの時代の若者達は

それであったら

生きられないという事情も薄々分かる

 

そのような社会でないからである

誰がどうしてこの様になってしまったのだろうか?

嘘をつきながら

嘘の上手い者達だけが

生き残る世の中である

懸念である 誠に遺憾である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阿山では頼朝公、現代の日本人へのメッセージをお願いします。

 

 

 

源頼朝公からメッセージ】

ふふん、若者(義経)が言う意見は若者である。

私はその両方の気持ちがわかる

真っ直ぐに生きろといっても

人の心の邪心は消えぬ

どこの世に行ってもそれは残ってる

本当のことを言えば殺される時代は

今も変わらぬ

 

そう本当のこと言ったら

生きていられぬのは世の常である

私はそこに対して気づいていたが

 

このものは(義経)はそのことに対しては

従えないと思った。

それ故そのような形になった。

私からの意見 そうだのう 

 

”己を生きろ”と言う事は

確かなことである 

されど”己を殺すような生き方はせぬ事”だと

私からは生きる為には

あらゆることを講じ

”生きろと言いたい、

死ぬのではない

生きろということを

命じたのである” 

 

私はこの者(義経)にも

生きろということを言ったのである。

何もわしは命まで狙おうとは

思ってはおらなかった。

追い詰めたような形に

なってしまったがのう

 

本当はどこかに行って

生き延びろと言うことを伝えたのである。

それ故、生きるために何をすべきかを

考え行動することが必要。

 

各々の考えで行動すれば良い。

日本は憂えぬはずの国じゃったが

様々な問題により

属国になろうとさえもしておる。

 

それはこの国の真の、

誠の光があるからである。

それは霊眼で見てもそのように見える

この国の人々の中にある想いは誠の光

誠の愛、誠の平和の思いである。

 

犠牲になりながらも平和になった。

その礎の思いである

それはワシが生まれた熱田の地に

おいてもあるであろう

 

そうこれこそが

生まれいずる所の

この日本の良さである。

 

それを伝え続けることが

日本の習わしである。

日出るところに生まれているものだと

言うことである。

 

”ひ”というものを常に心に描いている

 ”日”であり”太陽”であり 

”霊(ひ)”の元であり

そして”陽”である

私は闇ではない。

 

 

 

巫女>建国の神。

大衆とかを味方につけた

光秀公や義経公は味方に付けれなかった。

ゼネラルで大衆的な

一般の人々に有名になり

公認にされた 太陽の陽

太陽王っていうのがありますよね。

 

 

 

ありがとうございます